【後編】データ利活用第三の道「情報銀行」がもたらす、哲学とアイデア勝負の社会


2021年9月にデジタル庁が発足。2022年4月には改正個人情報保護法の施行を控える。日本のデータ利活用が大きく動き始めた。

GAFAやBAT(Baidu:バイドゥ、Alibaba:アリババ、Tencent:テンセント)が世界経済を席巻する中、これまで「データ後進国」と言われ続けてきた日本。そんな日本がパーソナルデータの保護と利活用を両立させる方策として打ち出したのが「情報銀行」だ。個人情報を特定の企業が独占するのでも、個人が自己責任で管理するのでもない“第三の道”として、世界から注目を集めている。情報銀行の普及によって、企業や個人が得られるメリットとは。その先に導かれる新しい社会像とは。

情報銀行のすべて』(ダイヤモンド社、2019年)の著者であり、株式会社NTTデータにてパーソナルデータ利活用分野を牽引する花谷昌弘氏に話を聞いた。

本記事は、前編・後編の二本立ててお届けします。(前編の記事はこちら

POINT

  • 自分のデータを提供することは、回り回って消費者自身のためになる
  • パーソナルデータ利活用による便益をいち早く消費者に提供できる分野は「ヘルスケア」と「ファイナンス」
  • 個が強くなる時代、企業は明確な哲学を持ちそれを発信していくことが重要に
  • 「自分のノウハウを必要としている複数の企業で働く」スタイルがより一般的に
  • データが安全に流通するようになると、アイデア一つで勝負できる時代になる
株式会社NTTデータ 金融事業推進部 デジタル戦略推進部部長・花谷昌弘氏
株式会社NTTデータ
金融事業推進部 デジタル戦略推進部部長
花谷 昌弘(はなたに・まさひろ)

1996年NTTデータ通信株式会社(当時)入社。2004年まで、主にシンガポール、マレーシアでの海外事業に携わる。09年より、マイナンバーに関する社内での新規ビジネス創発を主導。16年より、パーソナルデータビジネス、ブロックチェーンビジネスなどの新規ビジネス創発を主導し現在に至る。18年内閣府総合科学技術・イノベーション会議データ連携基盤サブワーキンググループ委員。My Data Global会員。

企業へのデータ提供は、回り回って消費者の利益になる

株式会社NTTデータ 金融事業推進部 デジタル戦略推進部部長・花谷昌弘氏

── 情報銀行が普及・浸透すると、企業と個人はそれぞれどんな恩恵を享受することができるでしょうか。

まず、個人にとって最も大きなメリットは、企業とのコミュニケーションが効率化することではないでしょうか。

これまで、私たちはさまざまな商品・サービスについて、宣伝・広告を通じて知ることが多かったと思います。それゆえ、企業はできるだけ多くの人に知ってもらおうと、さまざまなメールや広告をこちらに投げかけてきます。

例えば、私の娘は来年成人式を迎えるので、振袖レンタルの広告が山のように届きます。すでに予約を済ませているにも関わらず、です。こうした企業の広告を煩わしく思う人も多いでしょうが、広告が届き続けるのは、私たちが私たちの情報を提供していないことが原因ともいえます。「すでに振袖レンタルの予約を済ませた」という情報さえ共有されていれば、無駄な広告は届かなくなるはずなのです。

無駄な広告にかかる印刷代や郵送代は、商品の価格に反映され、私たち消費者が負担することになります。つまり、「情報が流通しないと、消費者は損をする」といっても過言ではありません。

パーソナルデータが流通すれば、企業とのコミュニケーションはもっと効率的になるはずです。そうすれば、企業は商品やサービスなど、もっと本質的なものに投資できるようになり、私たち消費者はより良い商品・サービスを手にできるようになるかもしれません。直接的な効果ではないのでなかなか気づいてもらえないのですが、自分のデータを提供することは、回り回って消費者自身のためにもなるのだと、知っていただきたいですね。

企業にとっての最大のメリットは、アイデアで勝負できるようになることです。

これまでは、規模が大きく資本力がある企業ほどより多くのデータを持っているという状況がありました。データをベースにした宣伝・広告活動、データをベースにした商品・サービス開発は、より多くのデータを持つ企業、つまり大手企業が“勝ち組”になるケースが多かったのです。

一方で私は、ベンチャービジネスコンテストの審査員をさせていただく中で、素晴らしい事業アイデアを持つ地方の小さなベンチャー企業をいくつも見てきました。ところが、彼らはデータを持っていないために、仮説の検証ができなかったり開発に時間を要したりして、事業を断念せざるを得ない状況に陥ってしまうケースも少なくなかったのです。

もし、あらゆるデータがすべて情報銀行に集約され、企業規模にかかわらずあらゆる企業で活用できるようになったら。過去の実績は関係なく、「私(消費者)にとって魅力的な商品・サービスを考えてくれる企業」にデータが集まるようになったら。小さくとも優れたアイデアを持つ企業が、一気にトップランナーに躍り出ることができるようになるかもしれません。

情報銀行によって導かれるのは、都心にいなくても、巨大資本がなくても、歴史がなくても、アイデア一つでビジネスを成功させることができる世界。経済運営の中心が大企業から中小企業・ベンチャーへ、競争力の源泉が資本力からアイデア力へとシフトする、大きな変革が期待できます。

データ利活用を前進させるカギは、リテラシー向上よりも仕組みの整備にある

株式会社NTTデータ 金融事業推進部 デジタル戦略推進部部長・花谷昌弘氏

── パーソナルデータの流通・利活用を促進するには、消費者の中に「積極的に利活用しよう」という意識を醸成していくこと、また、データ利活用に関するリテラシーを高めることが求められそうです。情報銀行が社会実装されるにあたり、消費者にはどのようなリテラシーが求められるでしょうか。

個人のITリテラシーがより必要とされることは間違いありません。パーソナルデータを積極的に流通・利活用する世の中で、データを悪用しようとする者が出てくることは想像に難くないからです。こうした中、「自分のデータが、いま、どこで使われているのか」を把握し、データ提供の許諾にあたって「データを提供しても問題ない企業なのか」を見極める目を養わなければ、自らのデータが悪用され損害を被るリスクにさらされ続けることになります。

これについては個人の心がけに依存するのは難しく、消費者をサポートする仕組みづくりが必要でしょう。具体的には、データ提供を許諾した履歴や提供先企業の情報を蓄積し、必要に応じて閲覧できる場を用意することが考えられます。これも、情報銀行が担うべき機能かもしれません。

消費者をサポートする機能の一つとして、2020年にNTTデータが、企業のWebサイトのキャンペーンなどにおける「個人情報取扱規約」の安全度を点数で評価する実証実験を行いました。実験の結果、ユーザーの約9割が「表示が同意にあたっての判断材料として役立った」と回答し、一定の手応えを感じたところです。

副次的な効果として、実験参加企業の前向きな取り組みを促せたということが挙げられます。低い点数のままではユーザーから許諾が得られないため、より高い点数になるよう、企業が自主的に内容を改善するのです。結果的にほとんどの企業が80~90点と高得点をマークするようになり、ユーザーにとって安心・安全な状況が自然とつくられていきました。

消費者一人ひとりのITリテラシー向上が不可欠なのは言うまでもありませんが、それは一朝一夕に達成できることではありません。究極的には、学校教育に組み込んでいく必要があるでしょう。すでに民間企業の中には、小学生を対象に独自のリテラシー教育プログラムを提供しているところもありますし、今後は国を挙げての取り組みも必要だと思います。

そうしたリテラシー教育を着実に進めつつ、企業や国が消費者をサポートする仕組みをスピーディに整えていくことが、現実的な道だと考えています。

株式会社NTTデータ 金融事業推進部 デジタル戦略推進部部長・花谷昌弘氏

── 消費者が自らのデータを提供しようという意欲を高めていくためには、「情報を提供することで便益を得られた」という実感を積み重ねていくことも重要だと思います。その実感は、誰がどのように与えることができそうでしょうか。

2018年に情報銀行認定制度が開始され、すでに7社が情報銀行関連事業に取り組んでいます。今は、実績をつくっていく段階にきていると思います。

パーソナルデータ利活用による成果、特に消費者にとっての便益をいち早く提供することができそうな分野として有力視されているのは「ヘルスケア」と「ファイナンス」です。この2分野で、何か一つでもキラーアプリケーションが生まれれば、それが起爆剤となってパーソナルデータ利活用の気運が一気に高まるのではないかと期待しています。



情報銀行認定事業者一覧

一般社団法人日本IT団体連盟 情報銀行推進委員会 情報銀行認定事業者一覧(2021年10月現在)

出典:一般社団法人日本IT団体連盟 情報銀行推進委員会
情報銀行認定事業者一覧(2021年10月現在)https://www.tpdms.jp/certified/

企業は、哲学とアイデアで勝負する時代へ

株式会社NTTデータ 金融事業推進部 デジタル戦略推進部部長・花谷昌弘氏

── 著書『情報銀行のすべて』で、個人がビジネスや社会の中心になる時代が来ると指摘されています。“情報銀行時代”において、個人⇔企業間の関係では、個人が主導権を握ることになるのでしょうか。

そのように考え、これからの時代における情報銀行の必要性を再認識しています。

コロナ禍によって、期せずしてリモートワークが浸透し、「通勤しなくてもいい」「都会にいなくてもいい」という社会の新常識が急速に広まることになりました。これまで通勤に使っていた時間を別のことに充てられるようになったことで、自分のスキルを活かして副業・兼業する人が増え、働き方はこれまで以上に自由になっていくと予想しています。

そうすると、個人と企業の関係性は必ずしも「企業に所属する」のではなく、「自分のノウハウを必要としている複数の企業で働く」スタイルがより一般的になっていくと思います。

個人のスキルやノウハウが、情報銀行を通じて流通する社会では、そうした働き方をより実現しやすくなるでしょう。

もちろん、全国民がそのような働き方にシフトするとは思いません。しかし、希望する人が、より自由な働き方を選択するためにも、情報銀行を通じたパーソナルデータの流通は有効だと考えています。

── 個が強くなる時代、顧客や従業員から選ばれるために、企業はどうするべきでしょうか。

「コストパフォーマンスが良い」「品質が良い」「利便性が高い」「給与・待遇が良い」「〇〇社でしかできない仕事がある」といった要素も、もちろんこれまでどおり重要です。

しかし、今後はそうした要素以上に、その企業が「どのような哲学を持っているか」が重視されるようになると考えています。

なぜなら、個人がパーソナルデータを提供するかどうかを判断するときに、「社会に役立つかどうか」を重要な基準として考えるようになると思うからです。「新薬やワクチンを開発するためなら、私の健康データを提供します」「CO2排出量削減につながるのなら、私の購買データを提出します」といった具合に、共感できる哲学を持っている企業を応援したいという価値観は、今後より強まっていくはずです。

“情報銀行時代”の企業には、社会をより良くするために自社ができること・すべきことを改めて見つめ直した上で、明確な哲学を持ち、それを発信していくことが求められるといえるでしょう。

株式会社NTTデータ 金融事業推進部 デジタル戦略推進部部長・花谷昌弘氏

── 情報銀行が実装された社会では、企業が取得できるデータの量や種類にはほとんど差がなくなると思います。これからの時代、企業が「データで差別化する」のは難しいのでしょうか。

「データ利活用が、企業の競争力の源泉になる」こと自体は変わらないと思います。なぜなら、取得できる情報の量や種類は同じでも、それをどう分析・解釈するか、また解釈したことをどうアウトプット(商品・サービスやコミュニケーション)に落とし込むかは、依然として企業のアイデアにかかっているからです。

誰もが平等にデータにアクセスできるようになる“情報銀行時代”においては、データを「いかに使うか」がより一層重要になります。言い換えれば、いかに優れたアイデアを持っているかがカギになるということです。

大企業も中小企業も、歴史のある企業もそうでない企業も、都心にある企業も地域にある企業も、同じ土俵に立って闘えるフェアな社会。アイデアを武器に勝負できる社会。情報銀行の浸透とともに、そうした社会が実現されることを願っています。

株式会社NTTデータ 金融事業推進部 デジタル戦略推進部部長・花谷昌弘氏

[インタビュー・文]齋藤千明
[撮影]小池大介
[企画・編集]川畑夕子(XICA)

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【前編】データ利活用第三の道「情報銀行」がもたらす、哲学とアイデア勝負の社会

日本のデータ利活用が大きく動き始めた。2021年9月にデジタル庁が発足。2022年4月には改正個人情報保護法の施行を控える。

GAFAやBAT(Baidu:バイドゥ、Alibaba:アリババ、Tencent:テンセント)が世界経済を席巻する中、これまで「データ後進国」と言われ続けてきた日本。そんな日本がパーソナルデータの保護と利活用を両立させる方策として打ち出したのが「情報銀行」だ。個人情報を特定の企業が独占するのでも、個人が自己責任で管理するのでもない“第三の道”として、世界から注目を集めている。情報銀行の普及によって、企業や個人が得られるメリットとは。その先に導かれる新しい社会像とは。

情報銀行のすべて』(ダイヤモンド社、2019年)の著者であり、株式会社NTTデータにてパーソナルデータ利活用分野を牽引する花谷昌弘氏に話を聞いた。

本記事は、前編・後編の二本立ててお届けします。(後編の記事はこちら

POINT

  • 「パーソナルデータは第二の石油である」
  • 特定の企業が大量の個人情報を保有する”第一の道”、個人が自分の個人情報を管理する”第2の道”、個人情報を預託する”第3の道”
  • 情報銀行の構想や実装に向けた動きは、日本が先陣を切っている
  • 情報銀行は、生活をより豊かにするためにある
株式会社NTTデータ 金融事業推進部 デジタル戦略推進部部長・花谷昌弘氏
株式会社NTTデータ
金融事業推進部 デジタル戦略推進部部長
花谷 昌弘(はなたに・まさひろ)

1996年NTTデータ通信株式会社(当時)入社。2004年まで、主にシンガポール、マレーシアでの海外事業に携わる。09年より、マイナンバーに関する社内での新規ビジネス創発を主導。16年より、パーソナルデータビジネス、ブロックチェーンビジネスなどの新規ビジネス創発を主導し現在に至る。18年内閣府総合科学技術・イノベーション会議データ連携基盤サブワーキンググループ委員。My Data Global会員。

情報銀行は、“データ後進国・日本”の革新的な一手

── パーソナルデータ利活用の話題になると、“データ後進国・日本”という言葉が枕詞のようについて回ります。やはり日本はパーソナルデータ利活用の分野において「遅れている」のでしょうか。

遅れている点が多々あるのは事実ですが、実は遅れていない点もあります。2つの側面からそれぞれお話ししましょう。

株式会社NTTデータ 金融事業推進部 デジタル戦略推進部部長・花谷昌弘氏

まず、「遅れている」面について。

2011年1月に、世界経済フォーラムが「パーソナルデータは第二の石油である」と発表する(*1)と、多くの国や企業がパーソナルデータを活用したビジネスへと動き始めました。最初に動いたのがGAFAであり、その後に続いたのがBATです。私たちは、彼らが構築した「特定の企業がパーソナルデータを大量に収集・活用する」エコシステムに知らず知らずのうちに組み込まれ、その結果、生活は格段に便利になりました。

その流れに対し、米国の巨大プラットフォーマーたちに自分たちのデータが吸い上げられる状況に異議を唱えたのが欧州。個人情報は個人のものであり、特定の企業ではなく個人が管理すべきだと主張しました。

特定の企業が大量のパーソナルデータを保有する米国・中国と、個人が自分のパーソナルデータを管理する欧州。近年、パーソナルデータを取り巻く議論には、この2つの大きな潮流が存在しています。日本は、こうした個人情報の取り扱いに関する流れにおいて、完全に遅れをとっていると言わざるを得ません。

パーソナルデータの「保護」のみならず「利活用」の面でも日本企業は遅れています。「データを利活用するのは重要なことである」という考え方がようやく浸透してきたところです。重要とわかっていても、自社にどんなデータがどれだけ存在するのかわからない。データを使って何ができるかわからない。多くの日本企業が、そうした状態から前に進めていないのが現状です。

一方で「遅れていない」面とは何か。

それが今回のメインテーマである「情報銀行」です。
情報銀行とは、パーソナルデータをお金のように「預託」して運用を任せ、その代わりに「便益」を得る、日本発の個人情報預託の仕組みです。

情報銀行は、一般社団法人 日本IT団体連盟が、総務省が策定したガイドラインにもとづいて認定を行い、国が定めた方針にもとづいて、民間企業が運営します。データを一社で独占するのではなく、「個人からパーソナルデータを預かり、必要に応じて企業に提供する」という、仲介役を担う点が特徴です。

一つの企業が大量のパーソナルデータを保有する米国・中国と、個人が自分のパーソナルデータを管理する欧州。情報銀行は、その“いいとこ取り”をしたものといえます。世界的にも、パーソナルデータ利活用の「第三の道」として非常に関心が高く、各国からさまざまな問い合わせを受けたり、同様の業態が米国・英国でも構想されつつあったりします。情報銀行の構想、そして実装に向けた動きについては、日本が先陣を切っているといえるでしょう。

株式会社NTTデータ 金融事業推進部 デジタル戦略推進部部長・花谷昌弘氏

── 日本が、情報銀行という「第三の道」をとるに至った理由をどのように考えますか。

「諸外国に負けないよう、自国のデータは自国で管理・利活用すべきだ」という意見の方も多いのですが、私の考えは少し異なります。私が情報銀行を考えるときの起点となっているのは、「少子高齢化が進む中、地域の元気がどんどん失われてきている」という現状です。

例えば、私が中学生時代を過ごした岐阜県岐阜市では、毎日の通学に使っていた市営バスが最近になって廃業してしまいました。幸い、民間企業が路線を買い取り運行は続けられていますが、もし買い取ってもらえなければ、その地域は交通手段を完全に失っていました。

この状況を見て、私は「こういうことが起こるのは、今ある資源が効率的に使われていないからではないか?」と問題意識を持ちました。街がさまざまな変化を遂げても、バスの運行ルートや停留所の数・場所といったものはなかなか改定されません。「新しくショッピングセンターができたから、利用者を増やすためにバスのルートを見直そう」といった改善を、データにもとづいてスピーディに行うことができれば、バス路線という今ある資源を最大限に有効に活用して、住みよい暮らしを継続できるのではないかと思ったのです。

もう一つ例を挙げてみましょう。山間部に住んでいて、街中の病院に通院しているAさんがいるとします。もし、「Aさんは毎週木曜日の午前中に通院している」という情報が何らかの形で共有されていれば、山間部に荷物を届けに来た宅配便のトラックが、Aさんをピックアップして病院に連れて行くことができるかもしれません。

こういうことが実現できたら、非常に効率的だと思いませんか? 荷物を届け終わった宅配便のトラックの空きスペースが、Aさんを病院に送り届ける運賃に変わる。Aさんと運送会社、どちらにとってもメリットがあります。

少子高齢社会において、今ある幸福度や経済レベルを維持するには、このようにデータをうまく活用していく必要があります。諸外国と闘うためではなく、生活をより豊かにするためにパーソナルデータ利活用を促進するのが、情報銀行だと考えています。

(*1)総務省「平成26年版 情報通信白書」(2014年)
https://www.soumu.go.jp/johotsusintokei/whitepaper/ja/h26/html/nc133000.html

株式会社NTTデータ 金融事業推進部 デジタル戦略推進部部長・花谷昌弘氏

情報銀行の要諦は、個人情報の「預託」ではなく「運用」

── パーソナルデータを有効に利活用することで、社会を全体最適化し、企業と個人がWIN-WINになる世界。それは欧州で運用されているパーソナルデータストア(*2)でも実現できるように思えますが、パーソナルデータストアと情報銀行は何が違うのでしょうか。

パーソナルデータストアと情報銀行の違いは、預かったデータを提供する相手を審査する機能の有無です。

これはまさに、金融の世界で銀行が行っているのと同じことで、銀行が融資する際には、融資先企業について「反社会的勢力とのつながりがないか」「倒産のリスクがないか」など、さまざまな観点からチェックを行います。「データ提供先の企業は問題のない相手なのだろうか? 紛失・悪用の恐れはないだろうか?」─パーソナルデータの流通・利活用における私たちの心配事の一つを解消するのが、情報銀行の審査機能です。

この機能が、パーソナルデータストアには実装されていません。パーソナルデータストアは、銀行に例えると「貸金庫」。データを預かるための安全な場所を提供するという極めてシンプルなものです。データを貯めるのも、引き出すのも、運用するのも、本人の自己責任。「個人中心」の価値観を背景とした、欧州らしい仕組みと言えます。

これによって欧州が現在直面しているのが、データの利活用が思うように進まないという問題です。「せっかく安全なところに預けているので、わざわざ外に出すのは避けたい」という意識が働いているのです。パーソナルデータの流通・利活用に対する日本人の心理的ハードルは非常に高いものの、仕組み・制度は欧州よりもはるかに安心・安全なものを用意できており、データが流れやすい環境が構築されつつあると思います。

(*2)パーソナルデータストア : これまで企業等に管理されていた自分の情報(名前、住所などの属性情報から、いつ何を買ったかという購買情報などの企業側で管理していた情報まですべて)を企業等から取り戻し、自らが蓄積・管理するために必要となるパーソナルデータの保管場所。

株式会社NTTデータ 金融事業推進部 デジタル戦略推進部部長・花谷昌弘氏

── 情報銀行は、パーソナルデータを預かるだけでなく「運用」も担う構想があるようですね。

お金に関しては、「私たちから預かったお金を、銀行がプロフェッショナルの目線で融資・運用して増やし、私たちに還元する」ということが、当たり前のように行われています。現在認定されている情報銀行で、「運用」に着手している企業はまだありませんが、同様のサポートを情報銀行が行うことは十分に考えられますし、実際に認定事業者の中には、運用を含めたビジネスプランを策定しているところもあると思います。

お金の場合と異なるのは、情報は運用(企業への提供)の際に必ず本人の許諾が必要という点だけです。

極めて個人的な例なのですが、私はここ10年ほど尿酸値が非常に高く、いつ痛風を発症してもおかしくない状況なのですが、幸いにして健康そのものの生活を送っています。例えば、私のような人のデータが情報銀行に預けられていた場合、情報銀行は私に「あなたのデータはとても希少ですので、製薬会社Aに提供してはいかがですか? あなたのデータをもとに、より優れた痛風の薬を開発できるかもしれません」というオファーを出します。私が許諾すれば、製薬会社Aが希少なデータに対価を支払い、その一部が私に還元されます。これが、情報銀行が行うデータの「運用」の一例です。

株式会社NTTデータ 金融事業推進部 デジタル戦略推進部部長・花谷昌弘氏

── データの提供先を審査したり、データの運用をサポートしたり、情報銀行は、リテラシーがあまり高くない人でもパーソナルデータを利活用しやすい仕組みのように感じます。

総務省・経済産業省がこのコンセプトを打ち出すにあたっては、まさにそのような配慮もあったと思います。個人が多くのリスクを背負わなければならない欧州型のパーソナルデータストアは、日本の消費者にとってはかなりシビアな仕組みです。

日本の金融市場を見ても、投資信託や貯金など、多くの人が資産運用を第三者に委託している状況です。そうした背景も踏まえて、仲介役のプレイヤーがサポートする仕組み、つまり情報銀行という情報信託の仕組みが考えられたのではないかと想像します。(後編に続く

[インタビュー・文]齋藤千明
[撮影]小池大介
[企画・編集]川畑夕子(XICA)

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サイカの行動指針「XICA WAY」を実践する方法(2021年10月版)

「XICA WAY」とは、サイカのメンバーがビジョン・ミッションの実現に向けて実践すべき行動指針です。

全部で12あるXICA WAYは、それぞれが独立してあるのではなく、それぞれのつながりに意味があります。この構造を図式化したものが「相関図」です。

また、それぞれのXICA WAYには、XICA WAYの理解・実践をうながし、日常的に活用するための具体的なアクション「Do」が設定されています。

「XICA WAY」「相関図」「Do」は、日々の実践をとおして、より実用的なものに随時アップデートしています。この記事では、2021年10月にアップデートした「XICA WAY」「相関図」「Do」をご紹介します。

▶︎ XICA WAY(2021年3月版)サイカの行動指針「XICA WAY」を実践する方法

▶︎ XICA WAYができた背景はこちらの記事をご覧ください。

サイカの行動指針「XICA WAY」は、メンバーに送る「願い」である

この記事は、サイカメンバーに向けて、行動指針「XICA WAY」をなぜ体現してほしいのかを伝える目的で作成したものです。 今回、サイカに興味を持ってくださっている方々にもサイカのことをより深くお伝えするために、社内向けの記事をそのまま公開することにしました。この記事を読んで、サイカの社風や人格を少しでも感じていただけたら嬉しいです。

はじめに〜相関図について〜

12個あるXICA WAYがそれぞれどのような関係性を持っているのか。それを図式化したものが「相関図」です。

「才能開花に満ちた公正な世界をつくる」というビジョンを実現するため、相関図の頂上には、XICA WAYすべての到達地点として定義した「社会を才能開花させる」というWAYを置きました。

その下は、「心構え」「仕事」「仲間」の3つのカテゴリに分類され、「心構え」と「仕事」「仲間」をつなぐハブとして、「ジブンゴト化する」というWAYがあります。

また、「挑戦を愛する」「目標設定」「実践」、「Resilience」「チームワーク」の中には、それぞれスパイラルマークがあります。これは、スパイラルマークでつながっているWAYが相互に補完しあい、高めあう関係にあることを意味します。

例えば、挑戦を愛する心を持っているからこそ高い目標を設定でき、その目標を達成するために本質をとらえた実践を繰り返す。そして、実践の質を高めることでさらに高い目標に向かうことができるようになり、高い目標に向き合うことをとおして、より挑戦を愛する心構えが強化されていきます。

また、一人ひとりがResilienceを持っているとチームワークの質が上がり、逆に、高いチームワークがあり心理的安全性が確保できていると、個々人のResilienceを発揮しやすくなります。

相関図ではこのように、XICA WAY同士の関係性を見える化しています。

ここからは、それぞれのXICA WAYをご紹介していきます。

01. 挑戦を愛する

私たちは、いままでにない新しい市場をつくろうとしています。その原動力となるのが未知への好奇心です。前人未到の地に足を踏み入れる恐怖や、高い目標にひるむ気持ちがあるかもしれません。それでも、自分に限界をつくらず、失敗を恐れず、ワクワクするような目標を掲げ、果敢に挑戦することが重要です。

02. Resilience

挑戦を愛し果敢に挑み続けてほしい一方で、そのために燃え尽き、挑戦する気持ちを失ってしまうまで自分を追いつめる必要はありません。持続性があってこそ真のプロフェッショナル。困難に直面したときは、チームで完遂することを考えましょう。しなやかな竹は風を受けて曲がりますが、折れることはない。かたくなな強さではなく、しなやかな強さを持ちましょう

03. ジブンゴト化する

XICA WAYの土台である「心構え」と「仕事」「仲間」をつなぐのが、「03.ジブンゴト化する」というXICA WAYです。どんなに挑戦を愛しレジリエンスがあっても、ジブンゴト化ができないとアウトプットにつながりません。誰かがやってくれるのを待つのではなく、自ら手を挙げ、主体的に関わることが重要です。

04. 非連続な成長を追求する

目標を定めるときに大切にしてほしいのは、「To be(理想の姿)」を描き、そこから「As is(現状の姿)」までを逆算して筋道を立てることです。“昨日までこうしてきたから”と過去の延長線上で考えると、理想の姿が描けません。イノベーションは、新しい組み合わせ(=新結合)から生まれます。目的地にいちばん速くたどり着きたいのなら、速い車をつくるのではなく、ロケットをつくる。それこそがイノベーション。全部が地続きでなくてよいのです。

05. 論理性と創造性を行き交わせる

非連続な成長を実現する目標を定めたら、次は、目標への道筋をつくります。このときに意識したいXICA WAYが、「05.論理性と創造性を行き交わせる」です。論理性とは、数字や事実にもとづく積み上げのこと。創造性とは、感性や感覚に基づく発想のことです。この2つのどちらかだけになっていないでしょうか。論理性と想像性を行き来することで、非連続な目標を達成するための道筋が描けるようになります。

06. 本質を射抜く

「実践」でまず意識したいのが、「本質を射抜く」こと。打ち手から考えるのではなく、問題と課題を突き詰めることからスタートするということです。本当の意味での問題解決とは、属人性を排除し、再現性ある仕組みによって解決すること。そのためには、真因の見極めがとても重要です。

07. 実践から学び続ける

「06.本質を射抜く」と並び、「実践」において重要なのが、仮説を立てて実行し、結果を検証することです。この過程で、成功と失敗の要因を解き明かしていきます。ここで得られる新たな学びを一瞬の気付きで終わらせるのではなく、仕組みとして再構築する──これが「07. 実践から学び続ける」です。実践からの学びを繰り返すことで、属人的でないノウハウが蓄積され、仮説の精度も上がっていきます。

08. 最速を求める

「実践」にはスピードも必要です。サイカでは、末節にこだわった100点を時間をかけて出すよりも、本質にこだわった70点を5つ出す。このようなスピード感を大切にしています。

09.Respect & Encourage/10.異なるアイデアを歓迎する

「仲間」と理想的なチームワークを発揮するために実践したい3つのXICA WAYを定義しました。このうち、チームワークの基盤となるのが、「09.Respect & Encourage」「10.異なるアイデアを歓迎する」の2つです。他者を否定し虐げるようなコミュニケーションをとっていては、チームのパフォーマンスが落ちてしまいます。まずは他者の意見に感謝し、相手を理解しようとする姿勢が大切です。

11. Openness&Fairness

「09.Respect & Encourage」「10.異なるアイデアを歓迎する」を実践した先にあるのが、「11. Openness&Fairness」です。基盤となる2つのWAYを実践できないまま Openness&Fairnessを実践してしまうと、積極的に他者を打ちまかそうとするコミュニケーションが発生してしまう可能性があります。自らの立場や権力に固執せず、積極的に他者と交流することを奨励するXICA WAYです。

12. 社会を才能開花させる

最後、12個目のWAYは、これまでご紹介してきた11個のXICA WAYすべての到達地点として定義しました。『サイカの行動指針「XICA WAY」は、メンバーに送る「願い」である』という記事で、「XICA WAYはサイカメンバーの才能開花のためにある」と記しましたが、

自身の才能開花が「価値あるもの」になる分岐点は、その才能開花が「自身以外のためになるかどうか」であると考えます。XICA WAYと向き合い、自身の才能開花をさせていくプロセスに確信と誇りを持てるよう、常に大切にしてほしいWAYです。

終わりに

XICA WAYは、企業のミッション・ビジョン・バリューのうち、バリューにあたるものです。ただ、それを価値観ではなく、日々実践できる行動指針として捉えているところにサイカらしさがあると思います。

メンバー一人ひとりの価値観や考え方を尊重し、実践からの学びを仕組み化し、誰もが使える資産として共有していく。定義や基準を個々人の感覚にゆだねず体系化する。

このように、本質を突きつめることで、自分だけでなくメンバー全員の才能開花を一緒に目指そうとする姿勢がサイカの特徴です。ご興味を持った方はぜひお気軽にお話を聞きに来てください。

社会を変えるものづくりを──MAGELLAN初代プロダクトマネージャーが語る「色褪せない初心」と「PMの使命」

2015年8月、開発本部プロダクトマネージャー・岩澤利貢(いわさわ・としつぐ)は、ADVA MAGELLANの初代プロダクトオーナー(PO)としてサイカに入社。構想段階からリリースまで開発に従事した後、営業として500社以上のクライアントとお会いしてきました。「誰よりもプロダクトに関わってきた自負がある」と語る岩澤は、その経験を活かし、現在開発本部のプロダクトマネージャー(PM)として活躍しています。

マゼランの開発者・岩澤がものづくりの道に進むきっかけとなったのは、高校時代に出会った「橋」だといいます。岩澤のものづくりへの想い、その根源、PMとして抱く今後の展望を聞きました。

統計との出会いと、マゼランの構想が生まれた背景

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岩澤 利貢/Toshitsugu Iwasawa

開発本部プロダクトマネージャー(PM)。2015年8月にサイカ入社。面接の場で平尾と意気投合し、マゼランの構想を一緒に考えてきたサイカの生き字引。PM以前はセールスを担当し、500社以上の担当者とお会いした経歴を持つ。

── 岩澤さんは、マゼランの技術のベースにある「統計」にはいつ出会われたんですか?

統計をはじめて知ったのは、Web制作会社で働いていたときです。お世話になっていた保険セールスマンの方と話しているときに、「統計って知っていますか?」と聞かれました。彼は「統計は絶対に勉強したほうがいい」と言って、『金鉱を掘り当てる統計学』(講談社、2001年)という本を勧めてくれたんです。

勧められるがままに読んでみると、「統計を使えば、複雑な経営上の数値や株価などの予測ができる」と書いてありました。「これは、ビジネスに活かせる!」と衝撃を受けたんです。これが統計との出会いです。それから統計の基本を独学で勉強し、仕事にどう活かすかを模索しました。

その後、toC向けのアクセス分析ツールや、ブログ作成ツールを作っている会社でアドテックに携わることになります。

最初は、自社サービスを周知するため、背中にQRコードを印刷した忍者の服を着て、電車に乗ったり街を歩いたりしていました。同僚のアメリカ人と韓国人と3人で忍者の格好をしているのがおもしろかったのか、ツイッターに投稿されたり、某テレビ局のイベントに参加した際には、人が集まりすぎて追い出されたりしたこともあります。

この時期は、ちょうどSSP(サプライサイドプラットフォーム)の考え方が日本に広がってきたタイミングで、新しい広告の仕組みを作るプロジェクトの責任者に任命されたんです。ここで広告分析をやっているうちに、「統計を活用した広告分析サービスを作れば、より価値の高いデータを提供できるのではないか」という、マゼランのもとになる発想が生まれました。

── その着想をサイカで実現することになったのですね。

サイカに入社するまで、数社でいろんな経験をしてきましたが、思い返すと「自分のやりたいことはなんなんだろう」と探ってきた歴史だったと思うんです。その結果たどり着いたのは、Slerとして「人々の生活を支える社会インフラを維持する」でも、Web制作で「オーダー通りのWebサイトをつくる」でもなく、「自分でビジネスを考え、自分でビジネスをつくりたい」だったんですよね。

そんなとき、統計を使ったプロダクトを作ろうとしているサイカのことを知りました。

面接で、CEOの平尾さんに自分が作りたいプロダクトの構想を伝えると、面白いくらい考えていることが一致したんです。面接中に2人でプロダクトの全体像を議論し、正式に入社する前には、すでにモックを作っていました。

誰よりもお客様の理解を深めた、3年半の営業経験

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── プロダクトオーナーとして入社した岩澤さんは、その後、営業部門の責任者を務めることになります。この変化には、どんな経緯があったんですか。

僕がマゼランのプロダクトオーナーをしている頃、サイカは大手広告代理店とパートナーシップを組み、マゼランを販売させてもらっていました。毎日その会社に常駐し、マゼランを提案できそうな案件をもらっていたんです。

それでも営業成績はなかなか上がらない。そんなとき、新宿のチェーン居酒屋で海鮮を焼きながらCEOの平尾さんに言われた一言が、営業の道に進むきっかけになりました。

「自社の営業を強くしたい。THE MODEL式のセールス組織を自分たちでつくっていきたい。いちばんマゼランを知っていて、いちばんマゼランの価値を信じている人物に営業チームを引っ張っていってほしい」と。

平尾さんは、「プロダクトオーナーは、いちばん売れる人物がなるべき」という考えも持っていました。ゆくゆくは営業の経験を活かしてもう一度プロダクトづくりに関わることも見据えて営業を打診され、お受けすることにしたんです。

── それまでに、営業の経験はあったんですか?

いえ、全くありません。ですから、最初はびっくりしました。でもやっぱり、営業で成果を出す人も、良いプロダクトを作る人も、お客様のことを誰よりも理解している人なのだと思います。事業の立ち上げフェーズで、お客様に価値を届け、グロースしていくのがプロダクトオーナーの責務だと考えると、営業も自分がやるべきことだと思い、営業チームにコミットすることを決めました。

それからは、営業を1から勉強して、マーケ、インサイドセールス、フィールドセールスを統括しながら、結果を出すために試行錯誤を繰り返す日々。そうした中で、事業戦略やプロモーションの経験が豊富な彌野さん(取締役COO 彌野正和)の加入をきっかけに、ターゲットと訴求メッセージを整え、資料や商談を強化したことで、一気に成果が出るようになりました。

── 現在岩澤さんは、開発サイドに戻られプロダクトマネージャー(PM)として活躍されています。営業の経験は今に活きていると感じますか?

はい。営業チームにいた3年半、現場で働く方から社長まで、1000人以上の方とお話してきました。さまざまな立場の方がどんな課題を持っていて、何に価値を感じるのかを聞けた経験は、開発側に戻ってきた今、プロダクトを作る上で大きな財産になっていると感じています。

プロダクトマネージャーに戻ったのは、マゼランを包括する新サービス「ADVA」の構想が出てきたタイミングでした。ADVAは広告業界、ひいては社会を変える可能性のあるプロダクトです。自分が抱いていた「社会を変えるようなものづくりをしたい」という想いを叶えるためにも、開発側に戻りたいと平尾さんに伝え、2020年の11月、PMに就任したんです。

シドニーの美しい橋に魅了され、ものづくりの道へ

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──「社会を変えるようなものづくりをしたい」という言葉に強い思い入れを感じました。そう思うようになったきっかけはなんだったのでしょうか。

高校時代に行ったオーストラリア旅行で、シドニーハーバーブリッジ (Sydney Harbour Bridge) という、90年の歴史を持つ、ものすごく大きくて綺麗な橋を見たんです。そこで観光ガイドの方が話してくれたこの橋ができたことで、交通が便利になり、人々の生活が大きく変わった」という説明に、心を射抜かれました。その感動の最中に「自分も、人々の生活や社会を変え、歴史に残るようなものを作りたい」という想いが湧いてきたんです。

それから建築家を目指し、有名な建築学部がある大学を受験したんですが、見事に全部落ちてしまい、滑り止めで受けていた情報学部に入学することになりました。でも偶然にも、そこで今の仕事につながるコンピューターサイエンスを一通り学ぶことができたんです。

ビジョンに人を惹きつけ、経営と現場に橋を掛ける

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一般的にPMは「テクノロジー、ビジネス、デザインの3つのスキルが不可欠な職種」と言われています。アメリカでは、どれか1つを極めた人材が、他の2つの領域を身につけながら最終的に目指す役職がPMとなっているようで、本当に幅広い経験と知識が必要なポジションです。

さらにPMには、最新の情報やテクノロジー、流行などをいち早くキャッチアップしてプロダクトに反映させていくことが求められます。サイカのPM組織でも、情報をすばやくキャッチアップし、深掘りしてプロダクトに活かすという一連の流れを、型化するチャレンジをしています。

── 個人に依存するのではなく、組織としても成長しようと挑戦しているんですね。

そうですね。PMは個人で完結する仕事ではなく、プロダクトに関わるさまざまな人を動かし、ビジョンで人をワクワクさせる仕事です。

その一つの取り組みとして、今年の6月にプロダクトロードマップ策定プロジェクトを行いました。これは、プロダクトのビジョンを社内のみんなに深く理解してもらい、よりワクワクしてもらえるよう、ロードマップをビジュアル化するプロジェクトです。

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プロダクトロードマップ公開後のアンケートでは、8割以上のメンバーから「目指す方向性や想いが伝わって、ワクワクした」という感想をもらいました。この絵を見ながら、「どうやって、この“山”を目指そうか」といったディスカッションも生まれています。経営と現場メンバーをつなぐ橋を作れたのかな、と思っています。

「テクノロジー・ビジネス・デザイン」の3つのベーシックなスキルを磨きながら、最新情報をキャッチアップし続け、新しいアイディアに人を惹きつけていく。そんなPM組織を作っていくのが、これからの挑戦ですね。

── ご自身のキャリアの展望も教えていただけますか?

僕が目指しているのは、わかりやすいところで言えばCPO(チーフプロダクトオフィサー)です。CEOが描いた会社の世界観を、プロダクトに落とし込んでいくのがCPOの役割。世界を変えるプロダクトを、最高責任者として作っていきたいです。

高校生の頃から抱いている「人々の生活を変えるようなものづくりをしたい」という想いは変わっていません。引き続き、サイカでその夢を実現していきたいと思います。

※インタビュイーの所属・役職は取材当時のものです。

[インタビュー・文]佐藤史紹
[企画・編集]川畑夕子(XICA)

MROI(マーケティングROI)を最大化する5つの主要指標と測定方法

企業の売上を向上させるためには、マーケティングへの投資が不可欠です。
しかし、マーケティング活動による投資収益率(MROI “Marketing Return On Investment”)を最大化するためには、正確な指標によって各施策の効果を測定することが重要です。

有効な施策を正しく把握することで、戦略を再調整し、売上向上に繋がる最適な施策に予算を投資できるようになります。

しかし、売上に対するマーケティング施策の効果を把握することは簡単ではありません。そのため、「マーケティング効果の正確な評価」は、多くのマーケターが抱える共通の課題です。

では、マーケティング施策の効果はどのようにすれば正しく把握することができるのでしょうか?
以下、マーケティング施策の効果を測定するための、5つの主要指標を紹介していきます。

MROI(マーケティングROI)とは?ROASとの違い

MROIとは、マーケティング活動に対する投資収益率を示す指標です。マーケティングに投じた費用に対して、どれだけの利益(あるいは売上)を生み出したかを測ります。

一般的な計算式は以下の通りです。

MROI = (マーケティング施策によって得られた利益 - マーケティング投資額) ÷ マーケティング投資額 × 100(%)

ここで多くのマーケターが混同しがちなのが「ROAS(広告費用対効果)」との違いです。ROASは「特定の広告キャンペーンがいくらの売上を作ったか」という短期的な点の評価に優れています。一方でMROIは、広告費だけでなく、コンテンツ制作費、ツール導入費、さらには長期的なブランド構築の価値も含めた総合的かつ中長期的な面の評価を行うための指標です。

企業のCFOや経営陣が求めているのは、部分的なROASの改善ではなく、事業成長に直結するこの「マーケティングROI指標」の最大化に他なりません。

MROIを最大化するための5つの主要マーケティング指標

以下、マーケティング施策の効果を測定するための、5つの主要指標を紹介していきます。各指標は、顧客の購買ファネルにおける「量」「質」「長期価値」のどの側面を測るものかを意識することが重要です。

測定の目的主要指標算出方法の概要
見込み顧客の「量」見込み顧客の獲得単価コスト ÷ 見込み顧客の増加数
見込み顧客の「質」コンバージョン率・購買率アクション数 ÷ 訪問者数
顧客獲得の「効率」顧客の獲得単価(CAC)コスト ÷ 新規顧客数
短期的な「売上」平均受注額(AOV)受注総額 ÷ 受注数
中長期的な「収益」顧客の生涯価値(LTV/CLV)購買頻度 × 平均受注額 × 継続期間

見込み顧客の獲得単価

Webサイトへのアクセスや店舗への来店客数などのいわゆる見込み顧客の増加には、企業の販促・プロモーションなどのマーケティング活動が一定の影響を与えています。

これらのマーケティング施策を一定期間実施し、Webサイトや店舗への訪問者が増加すれば、施策として有効であることの示唆が得られたことになります。

そこで、マーケティング施策によって増加した見込み顧客の獲得単価を計算することで、施策を評価することができます。

見込み顧客の獲得単価 = マーケティング施策のコスト ÷ 見込み顧客(訪問者)の増加数

しかし、ほとんどの場合は一つの施策のみを実行することはなく、複数施策を同時に実行することが多いため、この方法では個々の施策を正しく評価することはできません。

コンバージョン率・購買率(CVR)

Webサイトや店舗への訪問者数が増えるのは良いですが、それが購買につながらなければ売上は上がりません。つまり、見込み顧客の量だけでなく、その質も重要なのです。

コンバージョン率、つまり訪問者が購入・申し込みを行った比率は下記の計算方法で求められます。

コンバージョン率 = コンバージョン数(求めているアクション) ÷ 見込み顧客数(訪問者) 

マーケティング施策の実施に伴って、コンバージョン率が上がれば、施策が有効であることの示唆になります。
しかし、この評価方法も、複数施策のうちどの施策が有効なのかまでは正確に特定することができません。

顧客の獲得単価(CAC)

顧客の獲得単価は、マーケティングの費用対効果測定において最も広く使用されている指標です。下記の計算方法で求められます。

顧客の獲得単価 = マーケティング施策のコスト ÷ 新規顧客数

獲得単価が、商品やサービス利益よりも高くなる場合は、マーケティング施策の効率が悪いという判断になり、予算の調整や施策の中止を検討する必要があります。

この評価方法もやはり、個々のマーケティング施策の効果を正確に把握することは困難です。

平均受注額(AOV)

平均受注額(AOV ”Average Order Value”)は、一定期間に行われたすべての受注の平均額を測定する指標です。計算方法は下記になります。

平均受注額 受注総額 ÷ 受注数

販促・プロモーション施策の実施が、期間内の平均受注額に与える影響も、顧客獲得の他に見ておくべき指標です。マーケティング施策によって平均受注額を上げることができれば、ROIを向上させることができます。

期間内に実施したマーケティング施策が限られている場合は、その施策の効果として評価することが可能ですが、複数施策を同時に実施している場合は、個々の施策を正しく把握することは困難です。

顧客の生涯価値(LTV・CLV)

顧客の生涯価値(LTV ”LifeTime Value” あるいは CLV “Customer Lifetime Value” )は、最初の受注後、お客様がどれだけ長くそのブランドのお客様であり続け、長期的にどれだけの収益を上げられるかを示す指標になります。

顧客の生涯価値 = 受注頻度(一定期間内でお客様の購入頻度) × 平均受注額 × 平均顧客の生涯(1 ÷ チャーン率)

マーケティング施策を顧客獲得単価と平均受注額だけで評価した場合は、短期的な利益に対する評価しかできませんが、顧客の生涯価値を確認することにより、中長期的な利益を踏まえた適正な評価が可能となります。

個々のマーケティング施策別にLTV / CLVが分かれば理想ですが、そこまで分析ができている企業は多くありません。

複雑化する時代でのマーケティングROIの測定方法

ここまで5つの主要指標をご紹介しました。しかし、前述の通り、複数の媒体で広告施策やプロモーション施策を同時に実施する場合、個々の施策を正しく把握することは困難です。

では、顧客の購買行動が複雑化した現代において、具体的にどのような測定方法でマーケティングROIを可視化すべきでしょうか。代表的なアプローチには以下のようなものがあります。

  • アトリビューション分析(MTA) デジタル上の顧客接点を追跡し、コンバージョンに至るまでの各タッチポイントの貢献度を評価する手法。
  • A/Bテスト: 特定の施策を実施した群と実施しなかった群を比較し、純粋な「リフト効果(増分)」を測る手法。
  • マーケティング・ミックス・モデリング(MMM) 統計分析を用いて、オンオフ問わないあらゆるマーケティング施策や、季節性・競合の動きなどの外部要因が事業成果にもたらす影響を統合的に分析し、定量化する手法 。

    デジタル施策の短期的な刈り取りだけでなく、テレビCMなどの認知施策や外部要因も含めた中長期的なMROIを測るには、データサイエンスの原則に基づいたMMMのようなアプローチが不可欠です。

    より具体的なマーケティングROIの測定方法のフレームワークや、ROIを最大化するための実践的な改善ステップについて深く知りたい方は、こちらの記事で詳しく解説しています。ぜひ合わせてご覧ください。

    詳細記事:マーケティングROIの分析・改善方法

    まとめ:数値的根拠に基づいたROI最大化に向けて

    本記事では、マーケティング施策の効果を測定するための5つの主要指標をご紹介しました。これらの指標は、マーケティング投資の効率を測る上での重要な基礎となります。

    一方で、現代の顧客行動は複雑化しています。複数の媒体での広告展開(Web動画広告、リスティング広告、テレビCMなど)に加え、値引きや店頭販促といったプロモーションを並行して実施する環境下では、単一の指標だけで各施策の真のROIを明確に測定することは非常に困難です。

    経営陣が求める「事業成長に直結するマーケティング投資」を実現するためには、より高度なアプローチが求められます。個別の指標による短期的な評価だけでなく、統計分析を用いたマーケティング・ミックス・モデリング(MMM)などを活用し、外部要因(気温や祝日など)も含めた統合的な分析を行うことが、これからの意思決定における強力な武器となるでしょう。

    客観的で数値的な根拠に基づき、有効な施策へ投資を強化し、効率の悪い施策を見直すこと 。このサイクルを回し続けることこそが、MROIを最大化し、中長期的な事業成長を生み出す確実なステップなのです。

    高度な測定手法や、データサイエンスに基づいた意思決定にさらにご興味をお持ちの方は、ぜひ以下のリソースをご活用ください。

    分析手法をより深く知る
    マーケティングにおける統計や重回帰分析の基本(Excelでできる重回帰分析ガイドはこちら)、またあらゆる施策を定量化するMMMの仕組みについては、こちらの記事で詳しく解説しています。

    ROI最大化に向けた環境を構築する
    統合的な分析をご自身の組織に導入したいとお考えの方は、MMM分析基盤「MAGELLAN(マゼラン)」の詳細をご覧ください。マーケティング施策の効果を正確に測定し、施策全体の最適化に向けてどのように改善すべきか、ぜひサイカにご相談ください 。

    (後編)MAGELLAN5周年記念対談──CEO×初代プロダクトオーナーが語る、広告効果分析ツールNo.1までの道のり

    データサイエンスカンパニーであるサイカは、誰もがデータにもとづく正しい判断ができる世界を目指し、マーケティング成果を最大化させるサービス「ADVA(アドバ)」を展開しています。

    2020年に発表したADVAの先駆けとなったのが、2016年にリリースした「MAGELLAN(現ADVA MAGELLAN、以下マゼラン)」。統計学を活用することであらゆる広告の効果を可視化するマゼランは、テレビCMのような効果が見えにくいオフライン広告の効果も可視化し、国内No.1の広告効果分析ツールに選ばれました。

    2021年9月にリリース5周年を迎えたマゼランは、これまでいくつもの大きな壁を乗り越えてきました。たどってきた道のりを、構想段階から苦楽を共にしてきたCEOの平尾喜昭と、初代プロダクトオーナーで現サイカ開発本部プロダクトマネージャーの岩澤利貢が振り返ります。

    本記事は、前編・後編の二本立ててお届けします。(前編の記事はこちら

    潮目を変えたのは「元ユーザー」の入社

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    岩澤 利貢/Toshitsugu Iwasawa

    開発本部プロダクトマネージャー(PM)。2015年8月にサイカ入社。面接の場で平尾と意気投合し、マゼランの構想を一緒に考えてきたサイカの生き字引。PM以前はセールスを担当し、500社以上の担当者とお会いした経歴を持つ。

    平尾喜昭(以下、平尾) 社内のことを整えて再スタートを切ったものの、サービスの受注が急に増えたわけではありません。いわゆるPMF(プロダクトマーケットフィット)に向けて、新たな挑戦が始まりました。

    岩澤利貢(以下、岩澤) 希望の光が刺したのは、現取締役COOの彌野(やの)さんが入社したタイミングでしたね。彌野さんは、誰もが知る大企業でマーケティングを担当された方です。実はマゼラン初のユーザーでもあったので、テレビ広告などのオフライン広告において、マゼランが発揮する価値を強く実感されていました。

    平尾 それまでは、大企業よりもWEB系ベンチャー企業の方がマゼランを利用してくれるだろうと思っていたんです。でも、彌野さんの話を聞くうちに、大企業でオフライン広告を担当するマーケターこそコアターゲットだと気づかされ、ターゲティングと訴求を変えるようにしました。

    それが、僕らにとって潮目が変わった瞬間です。

    ターゲットと訴求を変えた結果、サービスを利用してくださる大手企業が増えました。特に業界トップの大手企業がリスクを取って導入してくださるケースが多くて。トップ企業で居続けるために、新しい手法や技術も貪欲に取り入れる姿に、トップ企業たる所以を知りました。

    また、そうした企業で働くマーケターの皆さんのレベルはとても高いんです。彼らの要望やフィードバックに応えようと試行錯誤した経験は、マゼラン自体のクオリティを高め、僕らのマーケティング力も鍛えてくれました。

    「大企業の組織文化を変え得る」という確信

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    平尾 喜昭/Yoshiaki Hirao

    サイカCEO。父親の倒産体験から「世の中にあるどうしようもない悲しみをなくしたい」と強く思うようになる。慶應義塾大学総合政策学部在学中に統計分析と出会い、卒業直前の2012年2月、株式会社サイカを創業。創業前にはバンドマンであったというユニークなキャリアも持つ。

    岩澤  そのあたりから、カスタマーサクセスにも力を入れるようになりましたね。

    平尾 はい。もともとSaaSには、「ハンズオフこそ正義」という世界観がありました。サービス自体は提供するけれど、運用はお客様にお任せするのが当たり前だった。しかし、マゼランの場合、統計分析をやったことがない方にツールだけ渡して「あとはお任せ」とするのは負荷が高い。

    工数は増えるけれども、サービス導入後にハンズオンでお客様に伴走し、慣れてきたら徐々にお任せする体制を作る決断をしました。教科書的な常識を捨てて、お客様に寄り添い切ることを優先した結果、お客様のリテンションレートが上昇したんです。

    岩澤さんは、この時期に印象的だったお客様との関わりはありますか?

    岩澤 今でも覚えているのは、ある大手ナショナルクライアントがサービス導入後のインタビューで伝えてくれた「組織が変わった」という言葉ですね。マゼランを導入したことで、数字に苦手意識を持っていた方や、感覚的に意思決定してきた方も、データを軸にして施策を議論するようになったらしいんです。担当者の方が「マゼランは組織文化を変えられるツールですね」と言ってくれた時は感動しましたよ。

    平尾 それこそがマゼランで叶えたかった「データ分析の民主化」ですね。ツールとして利用してもらって、成果をあげるだけじゃなく、データをもとに社内や広告代理店と議論して、成果を最大化し続ける文化を育む。大企業でもそれを実現できることがわかって、マゼランの可能性をさらに感じましたし、苦労した甲斐があったなと思いました。

    今では、有名な企業の社長や経営陣レベルの方が、当たり前にマゼランを使って議論をしてくれています。お客様のオフィスでプロダクトの構想を練っていた時を思い返すと、なんだか、インディーズバンドがメジャーになったような。4畳半の部屋で必死に作った曲が、渋谷で流れてくるのを聞いたような。そんな感覚になります。

    岩澤 この頃に僕らを信じてサービスを利用して下さったお客様が、PMFに至るまで押し上げてくれたんですよね。

    分析を企業の実践にまでつなげる、新しい挑戦

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    岩澤 2020年にはマゼラン以外のサービスラインナップを増やして、「ADVA」をリリースしました。アドバの構想はずっとあったんですか?

    平尾 そうですね。マゼランをリリースしてからずっと感じていた課題の一つが、分析までは僕らが支援できるけれど、分析した結果をクライアントが実践するところまでは支援できなかったこと。実践ができなければ、せっかくした分析も絵に描いた餅になってしまう。

    企業にとって特に実践が難しいテレビCMについて、効果分析までにとどまらず、CM出稿枠のプランニングからバイイング、つまり実践までをワンストップで手掛けるプロダクトをつくりたいと思ったのが、アドバ開発の原点です。

    岩澤 テレビCM出稿サービスの提供をスタートするにあたり、大きなハードルもあったと思います。それでも決断できたのはなぜですか?

    平尾 お客様の声のおかげですね。先ほど話したような大手企業のお客様が「テレビCMを適切に分析できるのはマゼランだ」と応援してくれて。さらに、本来、競合関係にあるはずの広告代理店の中にも、期待を寄せてくれる方々がいました。

    マゼランで培った分析力を、企業の実践力につなげていく。それは、お客様と向き合いながら必死につくってきたマゼランの土台があるからこそできる、大きな挑戦でした。

    データ分析を民主化し、人類を進化させる

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    平尾 マゼランリリースから5年が経ちました。せっかくだから、これからどんなことを実現したいか話しません?

    岩澤 いいですね。僕は最近、改めて「データ分析を民主化し、マーケティングの適正評価を民主化する」というサイカのミッションを強く意識しています。「民主化」には色々な意味があると思いますが、「分析は専門家に任せる」という枠を超えて、全ての人が分析をする楽しさを感じ、成果をあげることができる世界にしたい。それが広告業界を変え、経済を発展させることにつながるはず。その中心にADVAがある絵を描いています。

    平尾 描いていることは同じなんだけれど、切り口を変えるとしたら、僕が目指しているのは「アドバで人類を進化させる」こと。IT革命が起きてから現在に至るまで、さまざまなサービスやプロダクトが生まれてきました。それらは人間を楽にしている一方、思考する機会を奪って退化させてきたともいえます。

    本当の革命は、人類を進化させるものだと思うんです。マゼランやアドバが実現しようとしているのは、考えなくても成果が出る楽な世界ではなく、マーケティングにおける分析や戦略構築をマーケター自身がより深く考えられるようになる世界。考える楽しみをテクノロジーで支えたいんです。

    その結果、「マゼランが展開している国のマーケターは、レベルが高い」と言われるようなプロダクトにしていきたいと思います。

    岩澤 正解を与えられる人生と、自分で選択して正解を見つけていく人生があるとしたら、後者の人生を増やせるプロダクトでありたいですよね。

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    ※インタビュイーの所属・役職は取材当時のものです。

    [インタビュー・文] 佐藤史紹
    [企画・編集] 川畑夕子(XICA)

    (前編)MAGELLAN5周年記念対談──CEO×初代プロダクトオーナーが語る、広告効果分析ツールNo.1までの道のり

    データサイエンスカンパニーであるサイカは、誰もがデータにもとづく正しい判断ができる世界を目指し、マーケティング成果を最大化させるサービス「ADVA(アドバ)」を展開しています。

    2020年に発表したADVAの先駆けとなったのが、2016年にリリースした「MAGELLAN(現ADVA MAGELLAN、以下マゼラン)」。統計分析を活用することであらゆる広告の効果を可視化するマゼランは、効果が見えにくいテレビCMのようなオフライン広告の効果も可視化し、国内No.1の広告効果分析ツールに選ばれました。

    2021年9月にリリース5周年を迎えたマゼランは、これまでいくつもの大きな壁を乗り越えてきました。たどってきた道のりを、構想段階から苦楽を共にしてきたCEOの平尾喜昭と、初代プロダクトオーナーで現サイカ開発本部プロダクトマネージャーの岩澤利貢が振り返ります。

    本記事は、前編・後編の二本立ててお届けします。(後編の記事はこちら

    クライアントのオフィスで描いた理想図

    平尾 喜昭/Yoshiaki Hirao

    サイカCEO。父親の倒産体験から「世の中にあるどうしようもない悲しみをなくしたい」と強く思うようになる。慶應義塾大学総合政策学部在学中に統計分析と出会い、卒業直前の2012年2月、株式会社サイカを創業。創業前にはバンドマンであったというユニークなキャリアも持つ。

    岩澤利貢(以下、岩澤) 5年前、僕がサイカの採用面接を受けた際、すでに平尾さんの頭の中にマゼランの構想はありましたよね。あの面接で話した後、即座に作ったモックが、今のサービスの原型になっていると思うと感慨深いです。

    どうやってマゼランの構想を思いついたんですか?

    平尾喜昭(以下、平尾) サイカは創業当初、統計分析を用いたコンサルティグ業をしていました。コンサルティングをする中で気付いたのは、自社の事業に対して問題意識と仮説を持っている企業担当者が自ら分析するのがベストだということ。でも、既存の分析ツールは難しすぎる。そこに課題を感じ、誰もが簡単に統計分析ができるサイカ初のプロダクト「adelie(アデリー)」を開発したんです。

    さまざまな業界・業種にアデリーを紹介していましたが、クライアントの実に9割がマーケターでした。マーケターの方から、社内向けにレポートを作ったり、分析をもとにした戦略を構築する過程で、「こんな分析はできないか。分析だけじゃなく、予算配分まで提案してくれないか」という要望もいただくようになって。

    当時のクライアントのオフィスにお邪魔して、ヒアリングし続けた内容をA3の紙にまとめたものが、マゼランの構想図になりました。

    岩澤 マゼランはお客様のオフィスで生まれたんですね。

    平尾 そうなんです。そのA3の紙は、まだ家に置いてあります。岩澤さんが面接に来たのは、その骨子が生まれて1ヶ月後くらいでしたよね。

    岩澤 最初はアデリーのプロダクトオーナーとして面接を受けていたんですが、いろいろと話していくうちに、僕がやりたいこととマゼランの目指していることが一致することがわかって。面接そっちのけで、理想のサービスについてあれこれ議論したのを覚えています。

    平尾 すぐに意気投合して入社が決まり、入社までの期間で岩澤さんがプロトタイプを作ってくれて。それがほぼ、現在のマゼラン。すごいスピード感でしたね。

    岩澤 プロトタイプを作ってからは、価値検証に必要なデータをもらうために、企業に無料で統計分析を提供しました。そこで価値を感じてくださって、今も付き合いがあるお客様もいますが、振り返ってみると、あの施策は成功とはいえませんね(笑)。

    平尾 たしかに。無料なら試したいと言ってくれる企業は多かったけれど、なかなかアクションまではコミットしてもらえなくて。分析結果を渡して終わりになってしまうことが多かったですね。

    岩澤 懐かしいです。

    未知の手法で、古い慣習を書き換えれるか

    岩澤 利貢/Toshitsugu Iwasawa

    開発本部プロダクトマネージャー(PM)。2015年8月にサイカ入社。面接の場で平尾と意気投合し、マゼランの構想を一緒に考えてきたサイカの生き字引。PM以前はセールスを担当し、500社以上の担当者とお会いした経歴を持つ。

    岩澤 なんとか価値検証を終えてから、僕はプロダクトオーナーと営業を兼任するようになりました。プロダクトがまだ完成していなかったから、膨大なデータをもとに、手元で計算した分析結果を資料にまとめ営業する。あれは地獄のような作業でした(笑)。

    平尾 本当によくやってくれたと思います。岩澤さんの頑張りもあって、営業のアポイントは増やせたけど、そこで大きな壁にぶつかりました。「統計分析を用いて広告効果を測定する」という新しい考え方が、なかなか受け入れられなかったんです。

    「統計」の概念自体がまだ市民権を得ていなかったので、「理論的にはわかるけれど、実際に効果出るの?」という疑問を持たれることが多くて。

    岩澤 「成果が出た事例はあるの? 実績はあるの?」ってよく聞かれましたけど、スタート直後だったので、そんなものあるわけない。なんとか事例を作ろうと必死にもがいていたのを覚えています。

    平尾広告業界の古い慣習も、僕らにとっては逆風でした。その頃は代理店と広告主である企業が持っているデータ量の差が大きくて、代理店が今よりも力を持っていた時代。広告のROIを企業側が把握して、代理店に交渉するみたいな商習慣はあまりなかったんです。

    今でこそ、テレビCMの効果に対して疑問をもつ企業が出てきましたが、当時は、ROIの不明確さは問題視すらされず。営業に行った企業から「ROIなんて、見ていないよ」と、直接言われたこともありました。

    岩澤 あの頃は苦しい経験も多かったと思いますが、サービスを信じる気持ちが揺らいだことはなかったですか?

    平尾 お客様のニーズに対して、誠実に向き合って作ったサービスなので、マゼランへの確信が揺らいだことはなかったですね。必要としてくれる人がいると思っていたし、広く受け入れられるのも時間の問題だと信じていました。

    今でも「広告はROIの世界ではない。データで科学するものではない」と言う人もいますが、そうした企業の割合は減ってきています。経営全般がデータドリブンになる中で、ROIを気にしない企業に投資する株主も、ついていく従業員も少なくなると思うので、よりマゼランの描いていた世界に近づきつつあるといえるんじゃないでしょうか。

    メンバーの大量離職。生まれた「XICA WAY」

    岩澤 サイカにとっての逆風といえば、社内の反発もありましたね。

    平尾 メンバーの離職のことですね。マゼランをリリースした直後くらいに、それまでやっていたプロダクトを閉じて、マゼランに集中する意思決定をしました。その結果、多くのメンバーが会社を去っていった。

    マゼランの可能性を信じて下した決断だったけれど、うまく受注が取れていない状況に疑念を持つメンバーもいて。ライバルとなるサービスがあったら少しは違ったかもしれないけれど、マゼランには競合もいないし、そもそも市場があるかもわからない。

    成果がなかなか出ない中で、プロダクトの価値を信じきるのはタフなことだったと思います。メンバーがプロダクトやその先のビジョンを信じられるように組織を導けなかったのは、代表としての自分の反省です。

    岩澤 あの頃は、辛かったなあ。なんとか結果を出そうとしているのに、社内ではプロダクトに対する批判の声も上がっていて、なかなか成果につながらない苦しさがありました。

    平尾 当時、30名いたメンバーは15名まで減ってしまいました。でも、結局そこで残ったメンバーは、今組織の中核をなしている。うまくいかない状況にぶち当たったときに、誰かのせいにして「自分にはどうにもできない」と思うのか、「自分の力で状況を変えられるはず」と思うのか。自分を責めるのとは違って、自分の力を信じられる自己効力感みたいなものが大事で、それの有無が当時のメンバーの選択を分けたんだと思います。あの時期を乗り越えた経験は、とてつもなく大きな財産になりました。

    岩澤 あの経験をもとに、サイカメンバーの行動規範を明文化した「XICA WAY」をつくり、その中に「ジブンゴト化する」という項目を入れたんですよね。

    平尾 そうですね。今まで無意識に共有できていると思っていた、働く上で大切にしたいことを、改めて言葉にして伝えることにしたんです。そこからの採用は「XICA WAY」に共感し実践できる人を採用するようにして、その結果、壁に打ち当たっても前向きに乗り越えていけるメンバーが徐々に増えていきました。

    生まれ変わったサイカで、再スタートを切ることができたんです。(続きは後半へ)

    ※ インタビュイーの所属・役職は取材当時のものです

    [インタビュー・文] 佐藤史紹 
    [企画・編集] 川畑夕子(XICA)

    中学・高校でも必修化の流れ? データサイエンスは、未来社会を生きるための基礎教養

    「VUCA時代」とも呼ばれる、変化が激しく先行き不透明な現代。そのような状況下で求められるのが、未来の社会をつくり上げることができる人材だ。

    このような人材になるためには何が必要なのか。

    この問題に教育の現場で向き合っているのが、数学者であり、慶應義塾大学総合政策学部の学部長も務めた河添建氏だ。河添氏は現在、東京女子学園中学校・高等学校の校長として、多様な課題に向き合い、多角的な視点で考え、解決策を導き出し、リーダーシップをもって具現化できる人材の育成を目指し、さまざまな教育改革に取り組んでいる。

    2020年には、データサイエンスを取り入れた新カリキュラムをスタートさせた。なぜ、中学校・高等学校教育にデータサイエンスが必要なのか。データサイエンス教育は、未来の日本社会をどう変え得るのか。同校の教育改革を最前線で推進する河添氏に聞く。

    POINT

    • これまでの数学教育は「失敗」だった
    • 日本の「偏差値至上主義」と「文理の分断」が、子供たちの課題設定力や問題解決力を奪っている
    • データサイエンスのリテラシーは、年齢を問わず、未来社会を生きるために必要
    • データサイエンス教育によって、膨大な情報を取捨選択し、課題解決するための基礎的な素養と主体的に考える力が身につく
    東京女子学園中学・高等学校校長・河添健氏
    東京女子学園中学校・高等学校理事・校長
    河添 健(かわぞえ・たけし)

    慶應義塾大学名誉教授。慶應義塾大学大学院工学研究科博士課程修了。理学博士。慶應義塾大学工学部専任講師を経て、2000年から総合政策学部教授、11~13年慶應義塾湘南藤沢中等部・高等部長、13~19年総合政策学部長。20年4月から現職。専門は調和解析。

    データサイエンス教育で、日本が“滅びる”のを食い止める

    ── 東京女子学園では、2020年にデータサイエンスを中学校・高等学校の必修科目にし、独自のカリキュラムを展開しています。他校に先駆け、この新しい試みに至った経緯を教えてください。

    本校は、2020年に「Data Science, Design & Arts(DSDA)」という新しい教育プログラムをスタートしました。

    VUCA時代(Volatility,Uncertainty,Complexity,Ambiguity)とも呼ばれる、変化が激しく先行き不透明な現代を、楽しく豊かに生きていくために必要な力として、本校では下図の5つを定義しています。

    このうち、データサイエンスでは、データや数字を通して事象を考える力を。デザイン・アートでは、見えなかったものを見る視座を。

    多様な課題に向き合い、多角的な視点で解決策を考えることが求められる時代に必要な「見えないものを見る力」「出せない答えを出す力」を身につけてもらうため、DSDAはスタートしました。

    次世代社会を牽引するグローバル人材を教育する方法として「STEM教育」「STEAM教育」(*1)が注目されてきましたが、これらはどちらかというと理系向けの教育プラン。DSDAはこれをもっと広げ、データサイエンスを軸に文理融合した教育プログラムとなっています。中学・高校の6年間をかけて、データサイエンスのリテラシーを身につけます。

    きっかけは、2020年4月に慶應義塾大学総合政策学部長を定年退職するのに先立ち、本校の理事長とお会いしたときのことです。中学校の入学者数が減少の一途を辿り、近年は定員を大きく下回るようになっていた東京女子学園は、改革の必要に迫られていました。

    そこで、私がかねてから持っていた教育に関する問題意識も相まって、これまでにないまったく新しい教育プログラムをつくってはどうかと提案しました。日本が長年にわたって続けてきた教育の枠組みにとらわれず、日本の未来を変える人材を育てる教育。それがDSDAです。

    (*1)STEM教育とは、科学、技術、工学、数学(Science, Technology, Engineering, Mathematics)の分野を統合的に学び、将来、科学技術の発展に寄与できる人材を育てることを目的とした教育プラン。STEAM教育は、これに芸術(Art)を加えたもの。

    東京女子学園中学・高等学校校長・河添健氏

    ── 数学者であり、慶應義塾大学総合政策学部の学部長も務められた河添先生。今回のデータサイエンス教育の導入にあたっては、こうしたバックグラウンドやご経験も関係していたのでしょうか。

    私は数学者の一人として、また教育者の一人として、日本のこれまでの数学教育は「失敗」だったと考えています。そして、一刻も早く旧来型の教育システムから脱却しなければ、遠くない未来に日本は滅びるとすら思っているのです。

    世界でも他に例のない、“偏差値至上主義”ともいえる日本の教育。生徒の成績評価も、中学・高校・大学など学校に対する評価も、偏差値とそのランキングに依存しています。

    偏差値そのものに問題があるというよりは、偏差値を上げることが目的化してしまい、自らの夢を育てたり、物事にチャレンジしたりする精神が育ちにくくなっているのが問題です。今の日本の若者の4割は夢を持っていないというデータ(*2)もあります。テストでいい点をとり、いい大学に行き、いい会社に就職する──無批判にそうした“王道”を追いかけ続けてきた結果、課題設定力や問題解決力に欠け、重要な意思決定ができない国になってしまったと感じています。

    (*2)日本財団「18歳意識調査」(2019年)
    https://www.nippon-foundation.or.jp/app/uploads/2019/11/wha_pro_eig_97.pdf
    インド、インドネシア、韓国、ベトナム、中国、イギリス、アメリカ、ドイツ、日本の17~19歳それぞれ1000人を対象に、国や社会に対する意識を尋ねた。「将来の夢を持っている」という質問に対して、日本以外の8カ国では82.2%~97%という高い水準となった一方、日本は60.1%にとどまった。

    東京女子学園中学・高等学校校長・河添健氏

    また、偏差値偏重の教育システムの中で、文系/理系を分けてカリキュラムが組まれてきたこともマイナスに働いていると思います。文系を選択した人は数学を、理系を選択した人は国語や英語を極端にやらなくなる。いずれにしても、偏った知識・スキルだけが蓄積されていきます。

    そして、失敗を恐れる風潮が、文理の分断をさらに深いものにしています。テストで悪い点数をとると「自分はこの分野は苦手なんだ」と思い込み、ますます遠ざけようとする。数学はこの傾向が顕著ですよね。偏差値偏重と文理分けに象徴される日本の教育が、“数学嫌い”を量産する結果を招いたと、私は考えています。

    文理の分断は、日本にGAFAが誕生しないことの遠因にもなっていると思います。日本には優れた技術があるし、ビジネスのレベルも非常に高い。持っている知識の量や種類で言えば間違いなく世界有数の国です。しかし、多様な知識を横断的・総合的に組み合わせて、新しいもの・ことをつくり出すのが圧倒的に不得意です。文系だけでも理系だけでも、新しいものは生まれない。新しい価値は、文理融合によって生み出されている──それは世界でイノベーションを起こしている数多くの企業が証明しています。

    そして、こうした状況を誰も正しいとは思っていないはずなのに、誰も変えられていない・変えようとしていないのが現状です。日本の未来を揺るがす問題の根源にある教育体系や社会構造を、いまこそ変えなければなりません。東京女子学園へのデータサイエンス教育の導入、DSDAの実践を通じて、そうはっきりと意思表示したいと考えています。

    東京女子学園中学・高等学校校長・河添健氏

    教えたいのは「教養としてのデータサイエンス」

    ── イノベーションを創出し、未来社会をつくる人材を育てるためには、文理融合の教育が不可欠。その新しい教育の柱として、データサイエンスを立てられたのですね。

    先ほどもお話ししたとおり、日本人の“数学嫌い”には根強いものがあります。中高一貫の女子校で、理系教育が大事だからといって「数学をやりましょう!」と真正面からぶつかっていったところで、上手くはいきません。

    そこで、デジタル時代・データ時代のこれからの社会を生きていく上で不可欠な要素であり、ビジネスをはじめとするさまざまな領域で今後もますます注目が高まっていくであろう、データサイエンスを軸とするのが良さそうだと考えました。 ただ、教員のほとんどはデータサイエンスに詳しくありませんから、初めは理解・協力を得るのに苦労しました。DSDAの開始に先立って、週次で行う教員会の場で毎回15~20分ほどレクチャーの時間を設けるなどして、教える側の体制整備を行いました。

    東京女子学園中学・高等学校校長・河添健氏

    ── 中学生・高校生向けのデータサイエンス教育とは、どんなものなのでしょうか。データサインティストを養成するような、専門的な知識も教えるのですか。

    DSDAは、データサイエンスのスペシャリストを養成することを目的としていません。

    教えるのは、教養としてのデータサイエンス。未来社会をとらえるための、ものの見方・考え方の枠組みを身につけることに主眼を置いています。

    DSDAの名称が示すとおり、授業ではデータサイエンスだけでなく、デザイン・アートも扱います。データサイエンスとデザイン・アートの組み合わせに違和感を持たれる方もいるかもしれませんが、どちらも、さまざまな課題を解決したり、これまでにない新しいものを生み出したりする上で重要な感性という点で共通しています。

    また「データサイエンス」や「統計」という言葉に、自分には縁遠いものと感じ、漠然と苦手意識を覚える人も多いでしょう。

    ですから、DSDAでは“問題ありき”かつ体験重視のカリキュラムを設計しています。「世の中にこんな問題がある。どうやったら解けるだろうか?」と取り組む中で、知らず知らずのうちにデータサイエンスの本質に触れ、基本的な素養が身につく。そんなプログラムを用意しています。

    国を挙げた支援を背景に、大学でもデータサイエンスを学ぶ学部・学科・コースを設置するところが徐々に増えてきています。「データサイエンスを学問・知識として教えることで、日本でもGAFAのような企業が生まれるのではないか」という発想です。私はこの流れを、やや懐疑的に見ています。偏差値偏重の枠組みのまま、知識詰め込み型のカリキュラムでデータサイエンスを教えたら、かつての数学がそうだったように、かえって“データサイエンス嫌い”を生み出すことにならないだろうかと。

    データサイエンスは、オープンソースが基本の世界。スペシャリストを目指したい人に向けては、さまざまな場や機会が用意され、広く門戸が開かれています。有名どころで言うと、フランス発の学費無料のITエンジニア養成学校「42」や、2017年にGoogleが買収したデータ分析コンペプラットフォーム「Kaggle(*3)」など。学校教育で教えずとも、実践を通じていくらでも知識やスキルを習得することができます。

    中学生・高校生、大学生、ビジネスパーソンと年齢を問わず、未来社会を生きる広く一般の人に必要なのは、データサイエンスのリテラシーなのです。

    (*3)企業や研究者とデータサイエンティストを結びつけるプラットフォーム。統計学、情報科学、経済学、数学に精通しているデータサイエンティストが多数登録されており、企業や研究者が投稿した課題をデータ分析して、最適なモデルを導くために競い合う。Kaggleのシステムはコンペ方式を採用しており、参加者の提示したモデルは即時に採点され、順位が表示される。

    東京女子学園中学・高等学校校長・河添健氏

    ── DSDAの具体的なカリキュラム内容を教えてください。

    学習指導要領により定められた5教科(国語、社会、数学、理科、英語)の教科学習の時間以外に設けられた「探求学習」の時間に、DSDAを組み込んでいます。

    東京女子学園中学・高等学校のDSDAプログラム一覧
    出典:https://www.tokyo-joshi.ac.jp/junior/education/inquiry/

    中学1年生では、コンピュータの仕組みを理解することから始まり、グラフを読み解く・グラフで表現するワークを通じて統計の基礎を学びます。中学2年生は「フェイクニュースにだまされない方法」など時流に沿ったテーマで情報リテラシーを学び、中学3年生は「3Dプリンターでものづくり」でデジタル・ファブリケーションを学びます。

    高校生になると、「AIのキホンを学ぼう」でAIの仕組みを理解したり、「デザイン思考で我が家の改善」をテーマにデザイン思考のワークショップを行ったりします。近隣の企業・団体とコラボレーションしたプロジェクト学習も多く取り入れており、データサイエンスと社会のつながりを自然と感じられる内容になっています。

    探求学習の時間だけでなく、国語・社会・数学・理科・英語や体育・芸術・家庭などの各教科学習の中にも、データサイエンスの視点を取り入れています。たとえば、家庭科の授業の一貫で、東京・練馬区に味噌蔵を構える糀屋三郎右衛門とコラボレーションした「味噌づくり」。一見データサイエンスとは関わりがなさそうですが、美味しい味噌をつくるには、実は温度・湿度といったさまざまなデータを活用することが欠かせません。 このように、中学・高校6年間の教科学習・探求学習の中で、さまざまな形で楽しみながら、データサイエンスの面白さや可能性を実感してもらいたいと思っています。

    東京女子学園中学・高等学校校長・河添健氏

    主体的かつ文理融合で考えるから、未来は面白い

    ── データサイエンス教育によって身につく能力について、あらためて教えてください。

    繰り返しになりますが、本校のデータサイエンス教育によって身につくのは、データサイエンスの知識ではなくリテラシーです。

    世の中に流通する情報量は爆発的に増え続けており、もはや飽和状態です。膨大な情報の中から適切なものを取捨選択し、それを読み解いて、課題解決につなげていくための基礎的な素養。デジタルテクノロジーやデータの利活用によって実現する、豊かで暮らしやすい社会「Society 5.0(*4)」を生きる上で必須の、ものの見方や考え方の枠組み。文理の別なく必要なこの力を、体得してもらいたいと考えています。

    (*4)2016年、内閣府が「第5期科学技術基本計画」で提唱した概念。サイバー空間(仮想空間)とフィジカル空間(現実空間)を高度に融合させた「超スマート社会」を実現させるための一連の取り組みのこと。「経済発展」と「社会的課題の解決」が両立する人間中心の社会とも言われる。

    それに加えてぜひ身につけてほしいのが、主体的に考える力です。

    主体的に考える力とは、枠にこだわらずに多角的な視点で考え、正しい道を選択し、自立的・自律的に進んでいく力のことです。主体性がなければ、SF映画などで描かれるような「テクノロジーに支配される世の中」が現実のものとなってしまいかねません。

    いまの若い世代を見ていると、社会に対して受け身で、決められた枠の中でそこそこ幸せに生きていければいいやと考えている人も少なくないように見受けられます。でも、そんな人生で果たして幸せでしょうか? 楽しいでしょうか? 未来の社会をより良く生きるために、自分は何をすべきなのか、自分はどうしたいのか。それを考え、実践するための基礎教養がDSDAです。

    一人ひとりが主体的な社会とは、多様性を認める社会です。一人ひとりが主体的になるといろいろな意見が出てきますから、多様性を認めることが社会の基本ルールになります。その上で、多様な意見の中から本当にあるべき方向性を定めていくリーダーが、これからの時代に最も求められる人材です。しかし現時点では、主体的な意見がまだまだ少ない状態ですから、まずは主体的に考え動く人を増やすことから始めるのです。

    データサイエンス教育が、古い慣習や旧態依然とした制度、固定観念にがんじがらめにされて、新しい価値をつくり出すことができない日本から脱却し、主体性で溢れた社会をつくるきっかけになればと願っています。

    東京女子学園中学・高等学校校長・河添健氏

    ── 世代を問わず、すべての現代人が身につけるべき教養。それがデータサイエンスの本質であると教えていただきました。ありがとうございました。

    [インタビュー・文]齋藤千明
    [撮影]小池大介
    [企画・編集]川畑夕子(XICA)